「田久保被告、取材応じず あきれ声も、支援者は怒り―伊東・“市長学歴詐称疑惑”」
昨日(4月1日)、伊豆新聞デジタルが報じた記事を読みました。
タイトルは「田久保被告、取材応じず あきれ声も、支援者は怒り―伊東・“市長学歴詐称疑惑”」。
内容はご存知の通り、昨年5月の伊東市長選で当選した田久保真紀前市長(56)が、3月30日に静岡地検から在宅起訴されたというものです。
容疑は「有印私文書偽造・同行使罪」と「地方自治法違反(虚偽陳述)」——つまり、市長当選直後にネットで偽の大学印鑑を作らせて卒業証書を偽造し、市議会議長らに見せた、百条委員会で虚偽の陳述をした、というものです。
支援者の方々は当然、強い怒りをあらわにしています。
ある支援者は「裁判は税金の無駄」とまで言っています。
一方、私は、選挙そのものは確かに税金の無駄だったと感じています。
なぜなら——
昨年5月の市長選で当選したにもかかわらず、その後の学歴詐称疑惑で市長を辞職(または辞職要求)する事態になり、選挙費用だけでなく、市政の混乱、再選挙の可能性、市民の信頼喪失まで、すべてが税金で賄われたからです。
「最初からこんな疑惑を抱える人物が立候補・当選するのを防げなかった」時点で、選挙制度そのものに問題があったと言わざるを得ません。
しかし、ここが大事なところです。
起訴された結果としての裁判自体は、税金の無駄には当たらない。
むしろ、法治国家として絶対に必要な手続きだと思います。
検察が起訴した以上、裁判所で事実を徹底的に審理し、有罪か無罪かを白黒つけるのは、市民の権利であり、税金を正しく使っている証拠です。
起訴され裁判を行うこと自体で、検察官や裁判官に報酬が発生することはあり得ません。
彼らは公務員として固定の給与を受け取っており、裁判の件数が増えても追加の利益が生じるわけではないのです。
もし「起訴されたのに裁判をやらなかったら」、それは別の意味で税金の無駄(または不正義)になります。
支援者の方が「無罪を信じる」のは自由です
私も、裁判でしっかりとした審理が行われ、真相が明らかになることを望んでいます。
有罪なら「やっぱり選挙は無駄だった」と再確認されるでしょうし、
無罪なら「起訴自体が誤りだった」と議論になるでしょう。
いずれにせよ、裁判で決着をつけること自体は無駄ではありません。
今回の件で一番残念なのは、伊東市政がまたしても混乱に巻き込まれ、市民の税金と信頼が消耗し続けていることです。
告発文や怪文書が飛び交うような選挙環境自体を、もう変えていかなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。
裁判の行方を注視しつつ、伊東市の今後が少しでも良い方向に向かうことを願っています。

五島市では自身の不貞疑惑に対して、「離婚していたから不倫にはあたらない」とか、「婚姻関係は破綻していたから不倫ではない」と「(不倫の)関係を認める」ことをしながら、議員倫理審査会にて不貞関係の相手となった市議は、「関係を否定」(100条員会での発言であれば偽証罪で問えますが・笑)。
人という生き物は不利なことに対して否定する(嘘をつく)生き物でありますから!
これは私自身も含めてである。
#伊豆新聞 #田久保被告 #市長学歴詐称

求む!長崎県五島市公務員・議員に対する「素行」情報提供
