五島市の人事異動内示が発表された。









人事異動というのは、本来、組織を安定させ、行政運営を円滑に進めるために行われるものである。
少なくとも表向きは、そういうことになっている。
ところが今回の人事を見ていると、どうにも別の見え方がしてしまう。
総務企画部門では、部長も課長も、わずか一年で交代するという展開になった。
なかなか忙しい話である。
普通なら、継続性だの組織の安定だの、もっともらしい言葉が並びそうなものだが、それらはどうやら今回はお休みらしい。
今回の布陣を見て、市民や職員が
「これは本当に通常の人事なのか」
「ずいぶん都合よく組み替わったものだ」
と感じたとしても、無理はない。
しかも、その先にあるのが副市長体制である。
副市長という、市役所の中枢に立つ立場。
その配偶者が、引き続き課長補佐として勤務する。
なるほど、規則のどこにも「幹部職員の配偶者は退職しなければならない」とは書いていないのだろう。
役所にとっては、たいへん便利な話である。
書いていない以上、問題ない。
そう言ってしまえば、とても簡単だ。
だが世の中には、
書いていないけれど、普通は気を遣う
というものがある。
市立小中学校で、校長と主任、あるいは教頭と主任の夫婦が同じ学校でそのまま勤務する。
そう聞けば、多くの人が「それはさすがに配慮するだろう」と思うはずだ。
理由は簡単である。
公平性への疑念、指揮命令系統への不安、相談のしにくさ、周囲の萎縮。
そうしたものを避けるためだ。
ところが市役所になると、急に話が変わる。
「規則に書いていませんから」
この一言で、ずいぶん多くの違和感が“なかったこと”にされるらしい。
だが、職員の側はそう簡単には割り切れない。
実際、職員からはこんな声も届いている。
今回の人事は色々物議を醸すものでした。
役所内でも困惑の声が上がってます。1年での異動が多かった…
これを単なる一職員の感想として片付けるのは簡単だ。
しかし、その“感想”が現に出ていること自体、今回の人事が職場に少なからぬ波紋を広げている証拠ではないのか。

人事とは、辞令を出して終わる話ではない。
現場がどう受け止めるのか。
職員が安心して働けるのか。
上司にものが言えるのか。
相談すべきことを、ちゃんと相談できるのか。
そこまで含めて、人事である。
ましてや、副市長の配偶者が同じ組織内にいるとなれば、現場の職員が不安を抱くのは当然である。
「この話、最後は副市長の耳に入るのではないか」
「課内のことを言って大丈夫なのか」
「評価や異動に影響しないのか」
そうした疑念を、一度でも抱かせた時点で、すでに健全な職場環境とは言い難い。
もちろん、実際に何かが漏れると断定しているのではない。
問題はそこではない。
漏れるかもしれない、伝わるかもしれない、そう思わせてしまう構造そのものが問題なのである。
さらに言えば、総務部門の一年交代劇まで重なっている。
これでは、単なる人事刷新というより、北川副市長就任後の体制に合わせて、話の通りやすい布陣へ組み替えたのではないか――そう見えてしまうのも無理はない。
もちろん、市はこう言うだろう。
「適材適所の配置です」
「規則に違反していません」
「適正に運用しています」
実に便利で、実に聞き慣れた言葉である。
しかし市民が見ているのは、そんな定型文ではない。
見ているのは、
この人事が公平に見えるのか
職員の萎縮を招かないのか
市民に胸を張って説明できるのか
その一点である。
配偶者であること自体を責めたいのではない。
働くことを否定したいのでもない。
だが、副市長という強い立場にある者の配偶者が同じ組織で勤務し、そのうえ周囲が萎縮し、総務企画部門では一年で部長と課長の幹部が入れ替わる。
それでもなお「何の問題もありません」と言い切るのであれば、よほど鈍感か、あるいは市民感覚と遠く離れているかのどちらかである。
行政に必要なのは、違法でないことだけではない。
疑念を生まないこと。
身内に甘いと思われないこと。
職員が安心して働けること。
そして市民に対し、納得できる説明を尽くすことである。
今回の人事は、そのどれを満たしているのだろうか。
規則に書いていないから問題ない。
なるほど、役所らしい答えではある。
だが市民が知りたいのは、そこではない。
なぜこの配置なのか。
なぜこの交代劇なのか。
なぜこの体制で、職員が安心して働けると言えるのか。
五島市には、ぜひ丁寧に説明していただきたい。
市民も職員も、もう十分に見ている。
そして現場では、今日もまた誰かがこうつぶやくのかもしれない。
「ねぇねぇお父さん、今日ねこんな事があったのよ!」

求む!長崎県五島市公務員・議員に対する「素行」情報提供
