教科書学習はAランクでも、親の躾はFランク。これが五島市の首長だ

相手の感情を逆なでしてしまったFランク出口太

出口のご両親についての詳細は皆無だが、それぞれの育ちが子供への躾に現れたのだろう。
東大に行かせ、市長に当選できたから子育てすべてにおいて成功したとは言えません。
出口太家の血縁でもなければ地縁でなくてよかった。

葬儀への市長名での弔辞は【慣例行為】なのです

ご葬儀での当事者又は会葬者として人生の中で経験はされることでしょう。
告別式にてご紹介される弔電。
遺族は市長さんから、県議さんから、国会議員の先生から弔電が来たと「喜ばれる方」もいらっしゃるでしょう。これはいわゆる志ではなく個人名の売名行為の一つであります。本人ではなく秘書係、後援会事務所が勝手に手続きしているのです。弔電いただいて喜ばれる方は喜べばいいし、いただく理由はないと不快な気持ちになられる方は、弔電紹介にて読み上げることをしなければよい。しかし、行政からの弔電は「税金」が原資であることを知っていていただきたい。

人の死、そこにいる大切な人を目の当たりにした家族・親族の姿を、病院や福祉など医療に携わる職業であれば沢山見る機会は多いのです。

 人の死に慣れてしまうという職業病にもなります。私自身、大切な人との別れに数度立ち会った。
果たして自分は自然と涙が出るのか、泣けるのかと不安になることも度々あった。
 それぞれの家系柄があるなと直に肌で感じてきました。大切な人の死をすぐに受け入れた様子の家族もあれば、死を受け入れきれずに、その場で泣き崩れる家族もあり様々。

家系によって違いがあるのも当たり前なこと。そこそこの家系独自の在り方や思想は尊重されるのは当たり前で良き事。人間の最終の心のよりどころは宗教や信仰心とも言われますが、家系も同じく先代への供養や感謝、尊重かなと。
 その心のよりどころの宗教を選挙という政治に利用した教会の場常に利用する輩もいる。
 子孫は先代の家系柄・色を継いでこそ故人の供養になるのである。
淡々と時間は流れますが、出来る限り供養は続けていきたいものである。
丸田たかあき
丸田たかあき

対人関係と認識していながらの慣例となっているからと、弔電を送るFランク市長。
業としての弔電送付なのだとの認識だろう。
 対立関係にある家系に何の配慮もなく、家系を尊重していないと感じます。倫理や道徳心というより、公人としての慣例の業を公務遂行しただけと感じます。欠如あり。逆撫で行為。
 公人である前に私人としての倫理観を先に身に付けるべきである。公務員は何かとつけて業を理由にし、法を盾にする。身分が保障された立場の公人達は、勤続年数・職歴・役職に比例して、その悪しき盾が強くなる傾向と組織風土。
 公人と民間社会で働く市民と可能なら一度、立場や身分を入れ替えたいものだ。

弔意を表すならば『五島市の名義のみ』で、持っていけ

普通の企業では、弔電というものは、帳簿上は慶弔費として処理するが、本来の目的は広告宣伝費なのである。
市長も本当のお悔やむ心は皆無であり、自分自身の名前売りの為に出している。それが公金支出ならば、税金の無駄遣い以外の何物でもない。いいですね~、現役の市長は、公費を使って広告宣伝(=選挙買収)ができるんですから。
実際に、付き合いないけど国会議員・県議会議員・市議会議長そして首長からの弔電。
冷静さを失っている時こそ、人はまともな考えができない生き物。
錯覚にて〇〇家の『偉大さ・名誉』だと思い込み、弔電披露の紹介となるのだ。わびしい世界である。
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