明日は幟(退職後の姿)


市役所を退職なさった元職員、退職間近な職員の皆さま方、「長年のご公務お疲れ様でした。」と言われるだけまだマシだと思ってください。

台風直撃の7月3日、屋外は暴風雨。市役所2階の総務企画部のだだっ広いフロアーへ丸田の暴風が炸裂していた。

騒ぎの事情を耳にした一人の女性職員が近づいて来てこう述べた。「台風が近づいて来ているので取り外して、そこへ(無惨にも捨てられたように見えた)置いた。」

台風が来ているので!

ならば台風の進路がそれていたら何もしていなかった?って言うのだろうが。

新館水道局と本館税務課の接合部に出来る側から見えにくい部分、いわゆる“デッドゾーン”。これこそ、頭隠して尻隠さず。うまく隠せたつもりであって肝心なところがばれてしまった、一番知られては嫌な丸田に知れてしまったのだ。

台風襲来に備えての一時撤去とでも言いたかったのだろうか? または丸田を早く退散させるための都合の良い、いい訳だったのか?そこは職員でないとわからない。しかし、総務企画部は大変な失態を犯してしまった。管理職の久保部長、中村課長、大賀課長、戸村課長らが、聴こえているんだから直ぐに駆け寄って来て事情聞いて謝らなきゃいかんのですよ。職員の前で頭下げすりゃ人気度、好感度もアップしますって。

台風一過の翌日4日には、蒸暑いなか女性職員数名が商店街の「世界遺産登録への幟」を撤収しておりました。久保部長をはじめ、総務企画部の各課長達は庁舎内で涼んで「久しぶり直撃の台風は酷かったな!」程度の話をしていたのでしょう。

そして市役所には午後から新しい幟が、、、

各自治体が必要な枚数を本部へ申し出て割り振りされた「登録決定幟」なのであろう。もちろん無料であるはずはない。

決定後の幟は知らされていたのか? つまり「台風が近づいていたので」その場しのぎのいい訳で私を黙らせようとしたのか? 理由はどうでも良い。

台風接近が理由で放置されていたのは事実だ。しかし私の調査では台風接近の前から数本は放置されていたのだ。それはもっと許せない話である。

使っていない告知ツールほどムダなものはない。使わないのであれば、最初から作るな、作った以上は最大限使うべきなのである。

そして、お役目終了のツールはきちんと処分すべし。必要ないからそこへ放置しとけば良い!今後なくなる事に期待いたします。

これまでに五島市役所務めをめでたく退職された多くの職員様、今後退職される皆様方たちは、退職の翌日からはただの市民。ぺこぺこ、ヨイショは4月1日前日までの対応でございます。必要などないんです!あなたは利用価値が無くなった幟と同じなのである。

これが五島市役所の慣例でございます。くれぐれも、退職されました皆様方、これから退職を迎えられる対象職員の方々、退職後は市役所への無用訪問は極力遠慮なさられた方が良いですよ。

必要を終えた職員方には、五島市創生総合戦略の「まち・ひと・しごと」では価値のない市民として振り分けられるのです。

ごまをすり続けて定年を迎えても、退職後には意味を成さないチンケなものなのだと放置された幟をみて思った。寂しいかな・・・

使命を終えた幟、ゴミ扱いする前に「再利用」を考えてみませんか!捨てるのは簡単です。優秀な職員さん達皆で考えるのも簡単でしょうから。

そして、上司の顔色ばかり伺って、やるべき業務は放ったらかし、市民に常に上から目線。管理職に一番大事な職責。今一度、自分達の態度、行いを省みてください。

明日は幟(我が身)退職後の姿って寂しいものなのであります。

 
なんでも相談室

12 thoughts on “明日は幟(退職後の姿)”

  1.  😱肘つきぼくちゃんや、トムラーカチョーの男衆は、涼しい部屋でいいですね。女の職員が片付け、そら雑にもなるよ。幟が「候補」から「決定」に替わっても、ポールなどはほかの幟にも使えるから大事にしろよ。何なら肘の代わりに、つっかえ棒として使えるぞ。

  2.  「住む人に誇りを、訪れる人に感動を」を考えてみた。
     この標語の前提として、潜伏キリシタンは後にカトリックに復帰した。その潜伏期間をしのいだ。その遺跡は素晴らしい。要するに、キリスト教を信仰することが正しいという論理になっている。隠れキリシタンについては、カトリックに復帰してないので、もはやキリスト教ではない別物だ。これは、カトリックの論理だ。両者の文化的要素は変わらないか、むしろ隠れキリシタンの文化が貴重なはずだ。
     それと、考えてみれば、潜伏していた期間は、日本はキリスト教が禁止されていた。それは、三浦按針等の情報で植民地化を図る手段としてキリスト教を利用していたという情報を得ていたからである。だから、キリスト教を禁止していたのである。日本がは植民地化を免れた要因の一つは、キリスト教を禁止したことである。だから、当時キリスト教を信仰することは犯罪であった。だから、弾圧の要因になったのである。これを冷静に考えると禁止された宗教を守ったことがどうして誇りなのか、分からない。勿論、潜伏キリシタンや隠れキリシタンの文化は、独特のものがあり貴重と思うが、誇りというのは「ちがうだろー」である。
     潜伏遺産を見に来て何に感動するのだろうか。キリスト教に復帰して、貧しい生活の中で教会施設を作らされた。例えば、五輪地区には教会は新しい教会を作る資力がなく、浜脇教会を移築したので古い教会が残っただけの話である。それだけ貧しいところもカトリックに教会を作ることを強制されたことを示すものである(自主的に作った形にはなっているだだろうが)。訪問客がこのようなこと知ったら、何に感動するのであろうか。
     私は、横井正一の隠れていたすみかのレプリカを見て、感動はしなかった。むしろ戦争の犠牲になった実態を見て悲しかった。

    1. 「住む人は失望を、帰省する二三は感謝を」に私は読み違えました。そして、放置されていた世界遺産PR幟、係長止まりで退職した方々のように感じました。

  3.  五島の隠れキリシタンは、隠れの実態を明らかにするのを嫌う。一方、生月あたりの隠れキリシタンは、「オラショ」を披露して、新たな観光資源としようとしている。ここで参考になるのが。南米の先住民族だ。先住民族の中には自分たちの文化を売り物にして生活している人たちがいる。元々裸族であったが、自分たちの文化伝統を観光化することで、生活の糧としている。さすがに、裸じゃまずいので、危ない部分は現代風な衣装に変えていて、土産を作って販売したり、歌や踊りで観光客を喜ばしたりいているという。
     そこで考えたのだが、世界遺産で認定された「潜伏キリシタン遺跡」に見に来た観光客を、もっとすごい「隠れキリシタン」がいるよと誘い込んだらいい。いまだに隠れていて、その実態は分からないとして、隠れキリシタンの里を連れて回ればいい。もちろん、帰りは「二三館」で、ジブリグッズの代わりに「隠れグッズ」を買わせるのだ。そのためには、宮崎駿に隠れキリシタンのアニメを作ってもらえばなお好都合だ。二三館のオーナーの山本ファミリーは、「隠れているから、ここにはいない」と雇われ店主の同級生が、説明すれば真実味がでるよ。でもせっかくの売り上げは、みんな山本ファミリーにもっていかれるなー。残念。

  4. このまま人口減が進めば、五島市の職員も、椅子取りゲームみたいに、ちょっとしてミスで責任を取らされ消えていく。勤務評定重視で、目立つ仕事をアピールするだけ、アピール出来ない仕事は無視。密告が横行し、お互い足を引合うことになる。
     展示作品が少ない二三館は入場料が400円と高いので、不人気になり、責任の押し付けあいになる。そもそも二三館に美術館という名を付けるのはおこがましい。一世を風靡した横尾忠則でさえ、現代日美術として認められたのは往年になってからである。漫画家は美術館としてはまだ認められていないのだ。それもアシスタントだからなおさらだ。
     ところで淫乱ハゲが、またやらかしたようだ。プレバトの俳句を盗作した疑いがあり、謝ったらしい。特異の俳句例だから、盗作はほぼ間違いないようだ。こいつが盗作していなければ謝るわけがないのである。。この男が宮崎県知事になったのも、有力な相手候補である自民党候補の分裂ということで、自滅したのである。つまり、ただ幸運でなっただけなのである。未成年者に対する淫行事件を起こし、それで原因で芸の活動を自粛せざるを得なくなり、その間、社会人枠で早稲田大学2部文学専修で学歴ロンダリングをしていた。その後、宮崎県知事に立候補したのだ。政治家になるというのでタケシから軍団を首になり、反対した嫁さんとは離婚したのである。
     このように、盗作も淫行も平気な本質は変わらないのである。物事の正体は後でわかるのである。

    1. そうです!仮にも丸田が議員に当選できたならば⁉️
      丸田がやる事の正体も当選してからわかるのです。
      もちろん、議会をぶっ潰す。畜産業界的に言えば、解体する。
      有権者の皆さまがた、騙されてはいけません、丸田にです(^。^)

  5. イエズス会に協力して日本を植民地にしたならば、どうなっていたでしょう。 より:

    オウム真理教の麻原ら幹部が死刑執行された。しかし、オウム真理教自体はを信仰するのは自由ですから、現在アレフやひかりの輪、山田らの集団に分裂して、継承しているようだ。
     かつて、オウム真理教が起こしたテロ事件を考えると、オウム真理教とそれを継承する宗教団体は、許されないと思うのだが、日本国憲法は宗教の自由が認めらいる。したがってその団体に加入する自由はある。近代憲法では、宗教の自由は、どこの先進国でも認められたいる。中国などは認めていない。
     江戸時代から明治初期にかけて、為政者は宗教の自由を原則認めてきたが、唯一例外があった。それは、キリスト教である。イエズス会を通じて、キリスト教の布教とともに、各国を植民地化してきたヨーロッパの国々があったのです。幕府はそれを見破り、日本ではキリスト教を禁止にしたのです。おかげで、日本は植民地にならずに済んだのです。
     そでも、当時、既にキリスト教に帰依していた人々がいたのです。現代では、便宜上、①明治期にカトリックに復帰した人々は、「潜伏キリシタン」、②復帰しなかった人々が「隠れキリシタン」と分類されている。
     当時、キリスト教を信仰していた人々が、イエズス会に協力して日本を植民地にしたならば、どうなっていたでしょう。オウムの犯罪どころじゃなかったのです。犠牲者は、数万倍になったことでしょう。
     今の刑法でもそのような犯罪を「外患誘致罪」(81条)としています:外国と通謀して日本国に対して武力を行使させることを内容とする。これは、死刑のみです。今でも、やったら死刑です。
     幕府は、日本が植民地にならないよう、キリスト教を禁止していたのだ。当時は、立憲主義とかの概念もなく、統治していた。したがって、キリスト教を信仰するものは弾圧されたのである。いわば日本を守るためだったのだ。勿論、隠れたキリスト教を信仰したという文化は、近代国家となり植民地になる可能性もない時代の今から見れば、尊重してもよいだろう。しかしこれを「誇り思う」と行政が宣伝するのはどうしたもんだろう。あなたたちはいつから潜伏キリシタンや隠れキリシタンになったんだ。

  6.  「住む人に誇りを、訪れる人に感動を」が標語でした。何で、キリスト教を隠れて信仰したのが、地域の「誇り」なのですか、当時の考えでは、「犯罪者」なのです。今でこそ、信教の自由がありますから、問題ないですが、その時代は禁止されていた宗教だったのです。
     こっそり、隠れてキリスト教を信仰した事実は、ある意味、信念を継承した文化としては敬服できますが、潜伏キリシタンや隠れキリシタン以外の人にとっては「誇り」じゃないと思います。

    1. カトリック信徒でない方々で世界遺産登録決定を喜んでいる市長はじめ市役所関係者は、観光客が増える〜程度の頭です。二三美術館も「住む人に誇りを、訪れる人に感動を」
      山田洋子の準備書面で「山田洋子、議員を辞めろ!」の掲示書物に私への指摘。山本二三美術館の事務所掲示書物を証拠提出。山本二三美術館の恥さらしは、山田洋子のおかげで裁判所デビューです。
      山田洋子さん、毎月見に来てください。あなただけを個人攻撃?被害妄想というのです。山本二三美術館に関しては今回で3回目、御本人も美術館館長も何も言いませんよ。

  7.  裁判になれば、世間で認知してもらえますから、いいことです。有り難うございます。「二三雲」とか言って、どこが特別にうまいか分かりません。そんなにうまかったら、自分の作品でも出しておられるんだしょう。私の認識では、背景画、挿絵しか知りませんが、無知な私ですから山本二三の自己作品は知りません。どんな作品があるか教えてください。

    1. 高畑監督、他界後もニュース番組で取り上げられています。山本美術監督の肩書、他界後どれだけ全国ニュースで短編特集で取り上げられる?
      五島市は文化会館で別れの集いでも準備しますか?

  8.  「ゲ●パッ●」とか言われて、差別された隠れキリシタン人々は、そっとして欲しいと思います。生月みたいに表に出てオラショなど唱えより、そっと暮らしたいと思います。
     隠れキリシタンも貨幣経済が主流になると生活に余裕がないので、皆、都会に出てしまいます。人口減により、隠れキリシタンの役職の家もなくなり、解散しかなかったのです。
     潜伏キリシタンは、姫島、細々石、野崎島は皆で「逃散」してしまいました。このまま搾取されるより出た方が楽だからでしょう。

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