指摘できない五島市議団に、謝れない五島市長


またくだらない市議会が始まりますね。

世界遺産登録間近になって「今頃?」聞いててどうなるの?って言う類の質問もちらほら。
質問に立たれる市議会議員さん、親和銀行前の「のぼり」気になりませんか!?
世界遺産登録構成資産が二つある五島市。
のぼりが関心度の低さを訴えております。

せっかく世界遺産登録が気になって質問されるのですから、自らすすんでポールを伸ばしてあげてください。
私はバラモンキングののぼりを管理しています故。
山田よう子・網本定信・木口利光・江川美津子・片峰亨の5名の議員さんたち!!

ちなみに事務所前の斜めに傾いたのぼりは私が直しましたよ、商店街の役員さんの店舗前。気にならないんでしょうね。

・登録後の観光客へのおもてなしについて

・奈留島、久賀島の施設整備の進捗状況及び環境整備について

・世界遺産登録後の観光客の増加見込みは

・世界遺産登録を控えた観光客の受け入れ体制について

・世界遺産登録スケジュール及び登録後の祝賀事業計画について

・世界遺産登録後の課題(資産の保全管理、教会マナー、宿泊施設整備、交通アクセス等)について

・世界遺産登録を控えた久賀島、奈留島島内の交通アクセスの確保について

・世界遺産登録を踏まえた観光客の受け入れ体制について

登録は6月24日~7月4日にバーレーンで開かれる世界遺産委員会で正式に決まる。

上記程度の質問なら各自で担当部署に聞き取りすれば良いんだよ。そして自身の後援会に知らせるとか、街頭にて周知させるような議員活動でのお知らせで十分な内容である。どうせ、1年もすれば熱は冷めていくのです。

大人9800円。半日以上のコース。ネックは海上タクシーです。シーガルで福江港発着で蕨・奈留へのピストン航行させないとダメだよ。2年前から観光課に言ってあるが無理だ。ばかばっかだから。

五島市民におかれましては、世界ガッカリ遺産」とならないように、質問議員を中心に仏教徒とキリスト教徒手を取り合って頑張ってくださいませ。

インバウンド、聖地、秘境でも「がっかり観光地」

それにしても、議員の全てとは言わないけれど、丸田の本サイトでの情報発信は気になっておられ、丸田がどんないちゃもんを五島市へ意見しているのかくらい知っておられるが、敵になる市民がいるであろう問題ごとには知らぬ振り。

現在、監査請求を提出した固定資産の過少評価問題に、市議会議員一人として質問もしない現状。固定資産税は五島市の大事な自主財源であり、1円でも未徴収など許さない国民の義務のひとつなのである。しかしながら、市の連携不足にて現地調査を怠り、実際に現況と課税台帳に評価ミスが見つかっているが、現地メディアは独自調査も指摘もしない。まして質問に立ち、追及し是正を呈する議員はゼロである。現在税務課は、調査にて明らかになった過少評価の固定資産所有地権者へ謝罪と説明に回りだしたそうです。

市議会とメディアが動かないから、丸田は一人でも五島市自主財源徴収に不公平が生じないよう行動するのである。

大村市、園田市長
【 市議会全員協議会ー平成30年5月21日ー 】
<転出届に伴う国民健康保険の資格喪失処理の誤りについて>

議員の皆様には、今月16日にメールでご報告させていただきましたが、平成29年度末(3月)の転出届に伴う国民健康保険の資格喪失処理において、国民健康保険税の額に影響を与える入力ミスが8件発生していることが判明しました。
該当された皆様には電話連絡を行った後、お詫び状を同封して、改めて納税通知書を5月16日に発送いたしました。
このような事務処理ミスを発生させたことを深くお詫び申し上げます。

該当する土地所有者からは、あいつが要らぬことを指摘しなければ、納める税金が増やされなくて済んだのだ!とバッシング受けかねないからね。

当選してしまえば、次の選挙まで「触らぬ神に祟りなし」なのである。

触らぬ神に祟りなしとは、かかわり合いさえしなければ、余計な災いを受けることもないということ。

20名の現職議員さん達は、票が減るとわかっている事には知らぬが仏なのですよ。

ちょっと余談ですが(笑)

市内の指定ゴミ販売にて「大」が品切れ状態なのであるが、、、

市役所の発注ミスらしいと街の噂であります。本当の話なのであれば市役所生活環境化様よ、謝罪せんばよ。

販売店で在庫がないと納品していただけなかった販売店さんは、明日にでも即納で連絡いれてみてください。

管理者のシルバー人材センターへ100梱包(100枚/1梱包)在庫があるそうですので。電話による事実確認は市生活環境課職員とのやりとりであります。

 
なんでも相談室

2 thoughts on “指摘できない五島市議団に、謝れない五島市長”

  1.  世界遺産の視点が、偏っている。「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の違い。前者は、弾圧を受けて、キリスト教を隠れて信仰し続けたが、カトリックに復帰した人たち。後者は、カトリックに復帰せず、神道や仏教を隠れ蓑にいまだ隠れてキリスト教を信仰している人たち。
     誰が、定義したか知らないが、広報にこのようなことを説明していた。諸外国から見れば、カトリックに復帰するまでは、同じような行動様式で、両者には区別がない。果たして復帰した人たちだけが世界遺産として評価され、いまだに隠れキリシタンと呼ばれる人々には評価がない。
     西欧人にとっては、隠れキリスト教を信仰していて、復帰した人々だけが価値があるとでもいうのだろうか。仏教徒の私からすれば、いまだに隠れてキリスト教を信仰し、今や現代のキリスト教とは馴染めないものが、希少価値があり、世界遺産として評価されるべきと感じがする。西欧人の評価で決められる世界遺産とは何だろうか。

  2. 「牢屋の窄」など迫害を強調すると、外国人に日本人がキリスト教徒迫害者だと誤解されないよう、次の3点を説明しておきましょう。①「当時信教の自由は制限されていた」2「国策としてキリスト教を禁じていた」③「結果として日本は植民地にならなかった」従って歴史の大きな流れでとらえれば、そう責められる話ではない。「信教の自由」が正しく共有されるようになったのは、敗戦後からである。それを明治初年に同じことを求めるのには無理がある。弾圧は、形式的な「信教の自由」が認められた明治憲法ができる前の話である。
     似たような話に、①当時売春は合法であった。②戦争のために日本国民は徴用された。③朝鮮人も当時は日本国民であった。しかも、戦後日本は政治的判断で韓国に戦後保証として①②も含んで賠償した。鉄道、ダム、建物、道路と朝鮮を国家資本で整備し、工場、農地などそのまま無償で譲渡した。このような基本的内容を理解しておけば、如何に朝鮮人が抗議像を作って訴えていることが的外れか分かるであろう。

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